営業時間.10:00〜翌2:00 受付時間.9:30〜翌24:00 電話番号.0495-71-6218
週刊【もりやん】 第四週
2021年11月15日(月)
『忖度』という言葉が一時期はやりました。
悪い意味でですが...
『忖度』からしてみればいい迷惑でしょうね。
私はこう思います。
『忖度』なしの日常生活や社会生活はあり得ないと。
『忖度』自体の本来の意味は “他人の気持ちをおしはかること” です。
どんな家庭に生まれても、必ず親から言われたであろう “相手の気持ちになって考えなさい” という言葉。
それが『忖度』なのです。
むしろ良い意味の言葉なんですよね。
では、何故『忖度』が悪い意味に使われてしまったのか?
それは『忖度』する側に付随する心のありように問題があるからなのです。
基本的に『忖度』する側の人間は、良い『忖度』でも、悪い『忖度』でも、相手を気遣う気持ちが根本にあります。
問題は気遣う気持ちが誰の為なのかということなんですよね。
相手の気持ちを思って(忖度して)行う言動には邪心がありません。
例えば、老人や妊婦さんに席を譲るとかも良い意味での『忖度』した結果の言動ですよね。
翻って、相手のことよりも自分のことを思って(忖度して)、自らの利益の為に行う言動には邪心が混じります。
自分よりも強い立場の人間に対し、おもねった言動をするのは、悪い『忖度』の代表例です。
最近頻繁に使用され話題になった『忖度』は、こういった悪い意味での『忖度』でした。
古来、日本人にとって『忖度』は最重要なスキルでした。
有名な聖徳太子の憲法17条の第1条には「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ...(以下省略)」とあります。
逆接の日本史シリーズの著者『井沢元彦』氏はこのことを【話し合い至上主義】とおっしゃっており、日本人の根深いところに持つ最重要なアイデンティティーとして繰り返し著書に書かれております。
私もこの主張には賛成です。
ただ、こうして考えてみると、いささか現実的ではないかもしれませんが【話し合い至上主義】よりも【(良い)忖度至上主義】の方が聖徳太子の憲法17条第1条の標榜する世界観に近いのではないかとも考えたりします。
ひとりひとりの人間が、良い意味で相手の気持ちになって考えることが出来、自らすすんで忖度した言動を取れるようになれば、和を以て争いのない社会を実現することが可能です。
と、ちょっぴり宗教家っぽい理想論を書いちゃいましたが、そうはいっても争うのが人間です。
権力者や力のある立場の相手に対し “王様は裸だ!” と言えないのが現実だし、“あんたは裸だ!” と言われれば不機嫌になってしまうのも我々人間です。
『忖度』という言葉の持つ良い意味がクローズアップされ、『忖度』さんの名誉が回復されることを祈りつつ。
自らが裸の王様にならないよう、また、誰かの為に常に『忖度』できる人間になれるよう、精進していきたいものです。