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コンシェルジュの囁き

ほぼ日刊“MORIYA300”15号

2021年12月8日(水)

スタッフブログ - もりやん

今日は大東亜戦争開戦の日です。
 
数人の若い子に
 
“日本がアメリカとガチで戦争していた件”
 
について、知っているか聞いてみました...
 
すると、口裏を合わせたかのように同じ答えが返ってきました。

「教科書で習った程度なら」

私と同世代の方であればお分かりいただけるかと思うのですが、私たちにとって大東亜戦争は「実体験としては知らないが遠い過去のものではない」という認識かと思います。
 
それは、親や祖父母が何らかの形で大東亜戦争を体験していたからに他なりません。
 
例えば、私の身内の経験談として以下のようなものがあります。
父とその兄弟、祖父母は東京大空襲を経験しました。
父は撃墜されたB29を現在の上板橋駅付近に見に行き、パイロットの死骸を見たそうです。
父とその先輩は川越街道付近で遊んでいるときに、やはり上板橋付近で米軍艦載機の機銃掃射に遭いました。
その先輩のお兄さんは偵察機に乗務していました。
祖父の兄弟はミッドウェーとレイテで戦死しています。
ミッドウェーで戦死した祖父の兄は真珠湾攻撃にも参加したパイロットだったそうです。
レイテで戦死した祖父の弟は水兵として戦艦武蔵に乗務していたそうです。
 
私の身近な人たちだけでもこれだけの経験者が居ます。
ちなみに、戦後の混乱期の話となると語り尽くせないほど父たちの経験談があります。

「教科書で習った程度」というのは、私たちにとってはもっと昔しの話になります。
幕末とか日清戦争とか日露戦争ですかね。
 
祖父母は明治の人ですが、日露戦争の話を彼らから聞いた覚えがありません。
関東大震災の話は祖母が良くしていました。

今の若い子たちにとって、大東亜戦争というのはもはや歴史の1ページとしての認識でしかありません。
それは悪いことでもないし、仕方のないことでもありますが、なんとなく「これで良いのか?」と思ったりするのです。
 
昭和31年(1956年)年度の経済白書の序文で“もはや『戦後』ではない”と書かれ流行語にもなった言葉がありましたが、それはあくまでも経済的な話しでありまして、私にとっては「教科書で習った程度なら」という言葉を聞いた最近が“もはや『戦後』ではない”んだなぁ〜と思った瞬間でした。
 
なにをどうすれば良いのかわかりませんが、なんとなくモヤモヤァ〜とした感じなんですよねぇ〜
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